2001年の映画「A.I」。人間の子供の姿をしたロボットの物語です。
いつもは、主役のハーレイ・ジョエル・オスメント君がカワイイ!とパープリンコメントで終わるところですが、2度見たら「ジゴロ・ジョー」が気になりすぎたので、2020年にもなって彼の特殊な性能について考察したいと思います。
ざっくりあらすじ。
子供が不治の病で、落ちこんでいる妻モニカに子供型ロボット「デイビッド」を持ち帰る夫。
モニカは、最初は否定的だったが、ママを愛するようにプログラムされているロボットを世話しているうちに愛情が芽生える。
そして、実の子供の病気が治って家に戻ってくると、ロボットが邪魔になってくる。
情がわいてしまったモニカは、工場に言ったら解体されちゃうから森に捨てます。ママ、エグイって…それ。

スポンサードサーチ
一家に一台ジゴロ・ジョー
ジゴロ・ジョー(ジュード・ロウ)。
イロモノキャラのようですが見れば見るほど不思議な彼。
女性を癒す目的で存在するロボットで、顔が完璧なのに、リカちゃん人形ボーイフレンドのワタル君のような、テカテカの髪の毛。生え際の不自然さとか一旦おいといて。
デイビッドのように買い取られて家の中で稼働するロボットと違い、ジョーは自ら客の元に出向き、サービスをして、たぶん金銭を受け取っています。
ご飯も食べない、病気にもならない、年も取らないジョーにとって、お金はどんな意味を持つのか?
人気者で女性に指名されることを喜びとし、それを動力とするようプログラムされ、お金は元締めに渡すのか?

ジョーと女性の印象的な短いシーン
サンダルは片方脱げた状態で、脱力してベッドに腰掛ける女性。
少し怯えた表情をしていて、肩のあたりにアザがあります。
「情熱の名残のアザか?」と声をかけて、指先から音楽を流し、短いセリフで緊張を解きほぐします。

この短いシーンで、男性に怖い目にあわされた人なのだろう、という演出になっています。長々と口説いたりしないのが良いです。
「君は幸せになるのを恐れている」
幸せになりたくない人などいるのか?それはどういう意味だろう?と、ささくれた心にひっかかってしまった。
ちょっとイイ雰囲気になりかけて、今でいうApple watchのようなペンダントに着信が入り、次の客のところへ。
最後までしたんでしょうね??しててほしい。
スポンサードサーチ
ジョーとデイビッドの出会い
女性の相手が大得意のジョーは、森で子供型ロボットのデイビッドに出会います。
無表情かと思えば、時には人間を冷静に、かつ鋭く観察しています。

見えないものを信じるのが人間、僕らとは違う。人間は皆我々メカを目の敵にしている。メカは人間に仕えるためにデザインされている。
ジョーは、デイビッドに愛情を感じているわけでもないのに、助けてくれます。
ジョーは多くを語らず、相手に判断させるような態度をとります。
ロボット役で、カッチカチな棒読みをする俳優もいますが、踊ってもニコニコしてもロボットにしか見えない、見事な振る舞いを見せてくれます。
サブスクリプション
10才程度の少年がママ、ママ、ってついてきたらそれはもう可愛いだろうし、ご飯食べなくてよくて、学校にも行かなくてよくて、大きくなってグレたりしない。
ずっと可愛く、自分だけを愛する存在って魅力的でしょうか。
30才程度の超絶ハンサムが、何もしないで家で待っていてくれたら、毎日ハッピーでしょうか(3日くらいならいいかな)。
今日は最高級のオイルを投入しちゃうわ!とか、洋服着せて脱がせるだけの可愛がり方もマンネリ化して飽きると思う。
男女逆だと、18才くらいの女子高生型ロボットに合法的にサービスさせることをマジで希望している男性はいるのかもしれない。
自分が年をとっても病気になっても何があっても、彼女はずっと若いまま。
本気でロボットと暮らすなら、年間サブスクリプション契約で、1年後に10才人形を11才人形と交換なら、ビジネスとして成り立つかもしれない。
ジュード・ロウ人形の髪の毛を毎年ちょっとずつ少なくしていく加工もお願いしたい。
それ、人間でよくない?
スポンサードサーチ
年をとることは怖くないというのは強がりか否か

生き物にとって老化や病気はつきもの。
42才が20才に見えることに全く意味がないことは、とっくにわかっている。
ただ、肉体が思うように動かなくなったとき、どうやって解決するかという課題はある。
永遠は手に入らないからこそ、その時自分ができることをやる。
他者が自分に期待する「サービス」を提供するのが「メカ」。そこに「自分がやりたいからやる」という意志の比率が大きくなるのが「有機物」。
AIに登場するデイビッドの「サービス」は、ママを愛することである。
意識がプログラムされているので他の感情、たとえばパパを愛したり、人間の子供に愛されるよう媚びを売ったりしない。
サービスを提供し続け、問題が起きたら森に捨てられるのは、人間も同じかもしれない。
有機物は、壊れていく自分を傍観することなく回復処置をし、環境に抗い、逃げることができる。
他者のために有益に存在しようと思えば、その「他者」を見失ったときに脳が壊れる。
他者、自己、社会にとって最善をつくす。どれが欠けてもいけない。
自分が老いる時、他者もまた老いるし、世界は変化していく。
未来を約束されたサブスクリプションは有機物では不可能だ。
野良ロボットとなったジョーは、最後警察に回収され、「生きた!そして僕は消える!」と叫ぶ。その後彼がどうなったのかはわからない。
ロボットらしからぬ言動。
私も、不完全な自分なりの美学を貫き「生きた!」と言いながら天に吸い寄せられていきたい。さよならではなく。
コメント